大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 平成5年(ワ)3196号 判決 1999年4月08日

原告

甲野太郎外四名

右五名訴訟代理人弁護士

上田和孝

羽賀康子

被告

医療法人医仁会

右代表者理事長

小林勝正

右訴訟代理人弁護士

太田博之

後藤昭樹

立岡亘

中村勝己

主文

一  被告は、原告甲野太郎に対し、金三四三一万七二四三円及びこれに対する平成四年七月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野一郎、同甲山春子、同甲川夏子、同甲野二郎に対し、各金八二五万四三一〇円及び右各金員に対する平成四年七月一八日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、被告の負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は、甲野花子(以下「花子」という。)の夫であり、後記のとおり、花子に同行してその病状・治療方法等について説明を受けるなどしていた者であり、原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)、同甲山春子(以下「原告春子」という。)、同甲川夏子(以下「原告夏子」という。)及び同甲野二郎(以下「原告二郎」という。)は花子の子である。

(二) 被告は、愛知県丹羽郡大口町新宮<番地略>に所在する大口クリニックを開設、経営しているものであり、被告代表者理事長小林勝正(以下「小林医師」という。)は、大口クリニックの院長である。

2  診療契約の成立

花子は、背中に痛みを感じたため、平成四年三月六日(以下、平成四年中の年月日については、年号を省略し、月日のみで記述する。)、大口クリニックにおいて、小林医師の診察を受け、同クリニック(被告)との間に、右症状に対し、被告が善良なる管理者たる注意義務をもって、医療行為をするという準委任契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。

3  診療の経過

(一) 初診から五月一六日の退院まで

花子は、大口クリニックにおいて、三月一八日には胃透視を、四月一日には胃内視鏡検査を受けた。同月八日ころ、小林医師は、花子を胃癌と診断し、その旨を花子及び原告太郎に告知し、入院のうえ胃切除術を受けるように勧めた。

これに応じて、花子は、四月一五日、大口クリニックに入院し、同月一七日に胃の三分の二及びリンパ節を切除する手術(以下「本件手術」という。)を受けた。

本件手術後の経過は順調であり、花子は、五月一六日、大口クリニックを退院した。

(二) 退院後、六月二九日に再入院するまで

花子は、退院四日後の五月二〇日、大口クリニックを外来受診し、小林医師に抗癌剤UFTを一日六カプセル、一週間分処方され、その後、同月二七日、六月四日、同月一一日、同月一八日、同月二五日にも同薬を同量処方され、それを内服していた。

また、花子は、六月四日、同月一一日、同月一八日、同月二五日に、小林医師によって抗癌剤マイトマイシンC四ミリグラムを点滴投与された。

花子が、五月二〇日、六月四日、同月一八日に大口クリニックを外来受診した時の血液検査の結果によると、花子の白血球数は、それぞれ三八〇〇/立方ミリメートル、三九〇〇/立方ミリメートル、三四〇〇/立方ミリメートルであった。

(三) 再入院後七月二日に退院するまで

花子は、六月二九日、大口クリニックに再入院した。

花子は、同日、抗癌剤5FUを点滴により一二五〇ミリグラム投与され、同月三〇日にも5FUを同量投与された。

右各抗癌剤投与に先立ち、花子に対し、血液検査は行われなかった。

七月一日の血液検査結果によると、花子の白血球数は、二九〇〇/立方ミリメートルに減少していた。

花子は、七月二日、大口クリニックを退院した。

(四)  七月二日に退院してから愛知医科大学付属病院に転医するまで

花子は、七月三日、身体中に激痛が生じ、大口クリニックに再々入院した。

血液検査結果によると、花子の白血球数は、七月三日には二四〇〇/立方ミリメートル、同月四日には二二〇〇/立方ミリメートルにまで減少し、同月六日には一〇〇〇/立方ミリメートル、同月七日には六〇〇/立方ミリメートルにまで激減した。また、花子の血小板数は、同月六日には10.0×104/立方ミリメートル、6.8×104/立方ミリメートル、同月七日には、3.9×104/立方ミリメートルに減少した。

花子は、再々入院後、下痢がひどくなるなど、症状は悪化する一方であったため、七月七日、愛知医科大学付属病院に転医した。

(五) 転医後について

花子は、七月八日、呼吸が停止し、血小板の減少が著しく、輸血等の甲斐もなく、同月一八日死亡した。

4  被告の責任―小林医師の医療上の過失

(一) リンパ節転移等のないm癌には、補助化学療法の適応はないにもかかわらず、補助化学療法を行った過失

(1) 癌の分類には、転移の有無にかかわらず、胃壁への深達度によるものと、進行程度、即ち病期によるものがある。そして早期癌はさらに癌の形状によりⅠ型からⅢ型に分類される。

胃癌は、早期であれば、切除手術のみによって、ほぼ一〇〇パーセント完全治癒する。すなわち、治癒切除施行例の五年生存率は、組織学的進行程度によれば、ステージⅠでは九七パーセントであり、組織学的深達度によれば、早期胃癌ではほぼ一〇〇パーセントである。

花子の胃癌は、手術後繰り返し行われた病理検査結果によれば、粘膜内に留まるⅡc+Ⅲ型の早期癌(m癌)であり、リンパ節、腹膜、肝臓等にも全く転移所見はなく、進行程度はステージⅠの早期癌であった(なお、術中の肉眼診断では進行癌と思われたとしても、病理学的検査が肉眼的検査に優先することは当然である。)。したがって、花子の場合、本件手術のみにより治癒しうるケースであった。

このような場合には補助化学療法は必要ではない。けだし、抗癌剤の副作用はきわめて大きい反面、胃癌に対する抗癌剤の効果には疑問があるからである。

すなわち、抗癌剤の副作用がQOL(生活の質)を低下させること、白血球減少、血小板減少のリスクを伴うこと、補助化学療法の有効性は胃癌に関しては実証されていないこと、リンパ節転移のないm癌の再発率は一パーセントと極めて低いことからすれば、抗癌剤の投与はすべきでなかった。

したがって、花子の場合、補助化学療法の適応ではなかった。

(2) なお、花子が表層拡大型胃癌であったことから、通常の早期胃癌に比べ転移の可能性が高かったとすることは、花子の癌病巣の大きさは四〇から五〇ミリメートル程度の平均的大きさであって、転移の危険性は通常の早期胃癌と同様に考えるべきであること、粘膜内に癌が広がるにはある程度時間がかかったと思われるが、その時間の長短は転移の可能性の程度に影響を及ぼさないこと、「胃癌取扱い規約」等によれば、予後を決定づけるのは癌の深達度及び転移の有無であって癌の広さではないことから、採り得ない。

また、花子の癌細胞が印環細胞癌であったことをもって再発の可能性が大きいとすることは、「胃癌取扱い規約」においても、組織型分類は予後決定因子とはされていないことからすると、採り得ない。

むしろ、印環細胞癌は他の癌より予後が良いとの統計が出ており、そのことは開業医でも知っていてしかるべきであることからすると、印環細胞癌の場合に常に抗癌剤を用いるのは、医療水準を逸脱している。

(3) その他、花子は、癌性腹膜炎や化膿性腹膜炎でもなかったのであるから、化学療法の必要性はなかった。

癌性腹膜炎とは、癌細胞が漿膜を破り、腹腔内に散布され、臓器側及び壁側腹膜に生着し結節を作ることによって腹膜播種(腹膜播種性転移)に至り、やがて悪心、嘔吐、腹部の激痛その他の様々な症状が発現した状態をいう。しかし、花子には、癌性腹膜炎を疑わせるような症状はなかったし、小林医師は左腹部痛のみから癌性腹膜炎を疑ったとしているが、その確認のための検査を行っていない。なお、転医先の愛知医科大学付属病院の診療録では、花子の癌性腹膜炎について言及していないし、腹水中に癌細胞が存在しないことが確認されている。

また、花子には、化膿性腹膜炎を疑わせるような症状は全くなかった。

(4) 以上より、結局、本件の場合、医師に抗癌剤を投与するか否か選択する余地はなく、抗癌剤を投与してはならなかったのである。

このことは、早期胃癌の場合に、抗癌剤を使用する医療慣行があったとしても、悪しき医療慣行は、医療水準を形成しないので、やはり異ならない。

にもかかわらず、小林医師は、骨髄機能抑制の副作用がある抗癌剤であるUFT、マイトマイシンC及び5FUを次々と投与したのであり、小林医師には過失がある。

(二) 花子の症状では、抗癌剤5FUを使用することは禁忌あるいは適応がなかったにもかかわらず、使用した過失

(1) 花子の白血球数が減少している状態で、5FUを投与した点について

そもそも骨髄機能抑制がある薬を投与する際には、頻回に臨床検査を行うなど、患者の状態を十分に観察し、慎重に行うべきである。

すなわち、小林医師が使用した5FU、UFT及びマイトマイシンCの抗癌剤には、骨髄障害、下痢、食思不振等の消化器障害等の副作用がほぼ共通して認められる。白血球は骨髄において生産されるため、骨髄が障害を受ければ白血球数が減少する。

したがって、抗癌剤を投与するにあたっては白血球数の検査が要求される。

この点、「臨床腫瘍学マニュアル」では、白血球数が三五〇〇/立方ミリメートルより少ない場合は5FUを使用すべきでないとされている。

また、たとえ、白血球数が三〇〇〇/立方ミリメートル以上であったとしても、白血球数が明らかに減少傾向にあれば、5FUの投与は延期し、再検査して減少が少ないことを確認してから投与を決定すべきである。

さらに、抗癌剤投与による副作用は、個体差が大きく、個体によっては危険な場合があることを想定して慎重に副作用を検討する必要がある。特に早期癌の場合は、進行癌に比べて厳格に解されなければならない。

本件では、花子は、六月一八日の検査結果では、白血球数が三四〇〇/立方ミリメートルまで減少しており、正常値を下回っていた上、減少傾向にあったのであるから、5FUの投与は中止されるべきであった。

しかるに、小林医師は、その後、事前に血液検査等を実施することなく、花子に対し、六月二九日、三〇日に5FUを漫然投与し、その結果、花子の骨髄機能を不可逆的に破壊した。

しかも、一般に補助化学療法における5FUの投与量は一日量で三〇〇から五〇〇ミリグラムであるところ、小林医師が花子に投与した5FUの量は連日各一二五〇ミリグラムと異常に大量なものであった。

また、持続点滴の方法によれば副作用は軽微であるとの考えは、骨髄障害の副作用については当てはまらない。けだし、持続点滴による場合、癌細胞・骨髄細胞の分裂が長期にわたって障害を受けるため、骨髄障害の副作用も大きくなるからである。

(2) 花子に対し、先に投与したマイトマイシンC、UFTとの相乗効果を考慮せずに5FUを投与した点について

小林医師は、花子の白血球数が二九〇〇/立方ミリメートル位と推測されるにもかかわらず、5FUを投与しており、これは明らかに禁忌にあたる。

すなわち、5FUによる白血球数減少の副作用のピークは投与後、七日目から一四日目であり、マイトマイシンCの副作用によるピークは、投与後、二一日目から二八日目である。

本件では、六月九日から一六日ころに、マイトマイシンC、UFTが投与されているのであるから、その副作用のピークは六月三〇日から七月一四日ころ現われ、5FUによる副作用のピークは、七月七日ころ現れるとみられる。

そうだとすれば、花子の白血球数が七月一日の時点で二九〇〇/立方ミリメートルに減少していたのはマイトマイシンC、UFTの投与の副作用である。

結局、本件では、白血球数減少に関する5FUの副作用とマイトマイシンC(おそらくUFTも)の副作用は重複してより強く現われることになったのであり、しかもこのことは事前に予測できたのであるから、マイトマイシンC、UFTの投与によりすでに白血球数が著しく減少していた状況下においてさらに5FUを投与すべきでなかった。

(3) 下痢であった花子に対し、5FUを投与した点について

「臨床腫瘍学マニュアル」によれば、下痢があれば、5FUを使用してはならないとされている。5FUには主毒性として下痢があり、特に多剤併用下では何時、どのような下痢が起きても不思議ではない。正常な状態でもそうであるから、下痢が先行している場合にはそれがなおさら悪化するので5FUは禁忌とされる。

本件では、診療録によれば、5FU投与に先立つ六月二五日に「四日前にひどい下痢」とある。また、看護記録には、同月二九日、三〇日にも下痢の記載があり、5FU投与前も投与時も花子に下痢が続いていたことがうかがえる。

したがって、本件で5FUを投与すべきでなかった。

(4) 以上より、花子の白血球数が減少し、かつ、減少傾向が維持されており、下痢が続き、しかも他の抗癌剤が投与されている状況では、抗癌剤5FUを使用することは、禁忌あるいは適応がなかったにもかかわらず、小林医師が5FUを投与した点には過失がある。

(三) 説明義務違反

小林医師は、早期癌手術における治癒率、抗癌剤の胃癌に対する効果とその意義、副作用について、適切な説明をし、あえて危険を伴っても補助化学療法を受けるか否かを花子及びその家族が選択できるよう説明すべき義務があるところ、適切な説明をしていない。

すなわち、小林医師は、花子あるいは原告太郎に対し、抗癌剤の固形癌に対する効果が期待できないことは説明せず、抗癌剤の副作用の種類、程度、頻度についてもほとんど説明せず、印環細胞癌、表層拡大型胃癌について例外的危険を強調し、抗癌剤を受け入れざるを得ない方向に誘導している。このため、花子及び原告太郎は、抗癌剤の投与について同意している。

しかも、小林医師は、花子及び原告太郎に対し、5FU投与については、投与前に説明をしておらず、六月三〇日の5FU投与中に原告太郎が抗議してはじめて抗癌剤であることを明らかにしたのである。

小林医師から適切な説明がなされていれば、花子は、抗癌剤の投与など受けるはずがなかった。

(四) 感染対策を施さなかった過失

白血球数が正常値を割ると、免疫防御機能が低下し、感染症の危険が生じるので、医師は感染症対策をすべき義務がある。

しかし、小林医師は、既に花子の白血球数が減少していたのであるから、5FU投与後、感染予防のため引き続き入院管理が必要であったにもかかわらず、七月二日にいったん花子を退院させており、その後も何らの感染対策をしていないうえ、再々入院した時点においても花子は、四〇度の熱が出ており感染症に罹患している兆候が認められるのに、転医するまでの間、感染の有無の検査、対策を十分に施していない。例えば、CRP検査は肺炎その他の炎症性疾患に関する必須の検査であるが、七月二日以後これが施行されていない。また、血液の細菌培養検査は、真菌血症・敗血症の確認、有効な抗生物質選択の前提として必須のものであるにもかかわらず、行われていない。

(五) 花子を早期に愛知医科大学付属病院に転医させなかった過失

花子は、再々入院後も高度の発熱が続き、下痢もコントロールできない状態であった。高熱の持続は、感染によるものであり、花子は、再々入院後ほどなくして敗血症の状態にまで至り、七月七日の時点でDIC(播種性血管内凝固症侯群)に罹患していたと考えられる。愛知医科大学付属病院の記録によれば、花子は、転医時から敗血症、肺炎、真菌血症といった重度の感染症が確認されている。

感染症、敗血症、DIC、多臓器不全は不可逆的な場合が多く、極めて危険な状態であり、大口クリニックには、無菌室・ICU(集中治療室)のような敗血症等に対する予防、処置を行うだけの技術、設備がなく、被告は花子に対する治療不能の状態であったことは明らかであったから、再々入院後速やかに右技術、設備を備えた病院に転医させて、循環動態及び感染対策を行わせるべきであった。

したがって、小林医師には、花子の感染症等が不可逆的状態になるまで転医を遅らせてしまった点に過失がある。

なお、小林医師が開業医として適切な治療を行っていたとしても、適切な時期に転医していれば、愛知医科大学では、より適切、高度な治療を期待し得たのであり、過失があることに変わりはない。

(六) 抗癌剤5FUを投与する以前に、学会での研修、医療提携、情報交換等を通じて医療知識を獲得して適切な診断、治療を患者に施すべき研鑽義務をつくさなかった過失

小林医師は、開業医として最善注意義務ないし研鑽義務を果たしていなかった。

すなわち、花子の癌はリンパ腺転移もないm癌であって、化学療法の緊急性もなく、治療効果が乏しいにもかかわらず、小林医師において積極的な治療に出る以上、あらかじめ、抗癌剤についての必要かつ十分な新しい知見(情報)の入手に努めるのが開業医であっても当然果たすべき義務である。

この点、小林医師は、名古屋市からもほど近い大口クリニックの院長であり、学会での研修、医療提携、情報交換等を通じて、医療知識を獲得することは極めて容易な立場にあった。また、大口クリニックは、規模、外観は総合病院に匹敵し、胃腸科、外科を標榜し、小林医師は、国立ガンセンターのレジデントの経験があり、従前より抗癌剤治療を実施し、胃癌に関しては専門医であると自負し、患者も専門医として期待していた。

さらに本件で問題となっている知見は、m癌の再発率が極めて低いこと、抗癌剤は胃癌に対しては腫瘍縮小効果はあっても治療効果は認められないこと、印環細胞癌・表層拡大型胃癌・潰瘍型胃癌であることは再発のリスクとは関係がないこと、抗癌剤には重篤な副作用があること、抗癌剤により白血球数が減少すること、抗癌剤は下痢がある場合には禁忌であることなどであるが、いずれの知見も医学文献や教科書に掲載されている事項で、専門医であれば知っていなければならない事項である。

にもかかわらず、小林医師の知見は、昭和四五年から昭和五五年ころの早期胃癌であっても胃癌切除手術後補助的化学療法を行うべきであるなどという非常に古いものであった。小林医師自身このことは認識していたので、知見に変更があり得ることを認識していたはずであり、抗癌剤5FUを投与するに際しては、前期諸知見を獲得すべき研鑽義務があった。

5  因果関係

花子は、抗癌剤の副作用により死亡した。

直接の死因は、白血球減少による肺炎の罹患とこれによる呼吸不全であり、白血球減少は、抗癌剤5FUによる骨髄抑制の結果である。

また、花子は、抗癌剤UFT、マイトマイシンC及び5FUによる腸管粘膜の障害が生じ、下痢が悪化し、真菌血症、低アルブミン血症、脱水症状となった。

花子は、これら白血球数の減少と下痢からくる低栄養状態から、抵抗力が低下し、敗血症になり、肺炎、DIC、多臓器不全となり死亡した。

6  損害

(一) 花子の逸失利益(金三八〇三万四四八六円)

(1) 花子は、原告太郎の経営する○○商店において、製造・販売・経理の業務に従事しており、年間金五二二万円の収入を得ていた。

花子は、昭和一三年九月一日生(平成四年当時五三歳)の女子であり、本件により死亡しなければ、その後、六七歳まで一四年間稼働することができた。

その間の同人の生活費は、年収の三割を超えない。

以上を基礎とした新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して、花子の逸失利益を計算すると、金三八〇三万四四八六円となる。

(2) 原告太郎は、右金額の二分の一に当たる金一九〇一万七二四三円を、原告一郎、同春子、同夏子及び同二郎は、それぞれ右金額の八分の一に当たる金四七五万四三一〇円を相続した。

(二) 原告太郎の慰謝料(金一二〇〇万円)

原告太郎は、最愛の妻を失い、精神的苦痛はきわめて大きい。

これに対する慰謝料は、金一二〇〇万円が相当である。

(三) 原告一郎、同春子、同夏子及び同二郎は、かけがえのない母を失い、精神的苦痛はきわめて大きい。

これらに対する慰謝料は、各金三〇〇万円が相当である。

(四) 葬儀費用(原告太郎に金一三〇万円)

原告太郎は、花子の葬儀を執り行ったが、本件と因果関係のある葬儀費用は金一三〇万円である。

(五) 弁護士費用(原告太郎に金二〇〇万円、その余の原告らに各金五〇万円)

原告らは、本訴の提起、追行を上田和孝弁護士及び羽賀康子弁護士に委任し、その報酬として金四〇〇万円を支払うことを約した。

7  よって、被告に対し、本件診療契約上の債務不履行責任又は医療法六八条、民法四四条一項に基づく不法行為責任による損害賠償として、原告太郎は金三四三一万七二四三円、原告一郎、同春子、同夏子及び同二郎は各金八二五万四三一〇円並びにこれらに対する花子死亡の日である平成四年七月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1、2の事実は認める。

2  同3(一)の事実は認める。

3  同(二)の事実のうち、花子が抗癌剤UFTを内服していた点は不知。その余は認める。

4  同(三)の事実は認める。

なお、小林医師が5FUを点滴投与したのは、六月二五日、花子が同月一一日より左腹部痛があり、食思不振があると訴えたため、小林医師において、癌性腹膜炎が生じた可能性があると判断したためである。UFT、マイトマイシンC投与は、右症状が出現する以前になされており、右抗癌剤による副作用とは考え難い。

5  同(四)の事実のうち、花子に激痛が生じたことは不知。その余は認める。

なお、転医は、原告太郎の希望もあって、小林医師が5FUの点滴投与を行っている愛知医科大学第一外科が適切と考えて行ったものである。

6  同(五)の事実のうち、花子が死亡したことは認め、その余は不知。

7  同4(一)(1)の事実のうち花子の胃癌は、粘膜層にとどまっていて、進行度はステージⅠの早期癌であり、胃の切除のみにより治癒しうるケースであり、胃癌は、早期であれば、切除手術のみによって、ほぼ一〇〇パーセント完全治癒すること、花子の場合、化学療法の適応ではなかったことは否認する。

本件手術時の花子の胃癌の肉眼的進行程度は、癌組織が漿膜面に明らかに出ており、リンパ節転移は第二群リンパ節に転移を認めるものでステージⅢであった。

また、病理検査結果の再報告では、「深達度のみを考慮した取扱い規約上は「早期」の部類に入るが、癌の範囲は広く、時間的には早期とはいえず、既に他に転移が起こっていることもあり得る」とのことであった。

また、摘出リンパ節には病理組織的転移所見がなく、肝臓等に肉眼的癌転移所見がみられなかったが、それで転移がなかったとは言えない。

早期胃癌でも、胃切除術によって完全に治癒するわけではなく、二パーセントから八パーセントの再発の可能性があり、再発した場合には、予後が悪い。特に、本件のごとき表層拡大型早期胃癌は、他種の胃癌に比べて予後がよくない。再発の確率が低いとはいえ、再発すれば胃切除の意味がなくなるので、再発を防ぐために化学療法を行うことが必要となる。

確かに現在のところ、化学療法として使用される薬剤は、癌細胞に作用するほか正常細胞にも作用するため、種々の副作用があり、食欲不振、吐き気、嘔吐、下痢等の消化器症状、白血球減少、血小板減少、脱毛、肝障害、腎障害が認められている。

しかし小林医師は、胃切除術に成功したのに再発する可能性が低いとはいえ、存在するため、原告太郎及び花子に対し、右状況を説明した上、癌再発防止に力点をおくか、化学療法の副作用回避に努めるか、いずれを選択するか任せたところ、花子らは化学療法を選んだ。

8  同(2)の事実は否認する。

花子の胃癌は、漿膜浸潤に至っている表層拡大型の印環細胞癌であったところ、小林医師は、恩師である元国立ガンセンター第一病理長の佐野量造博士から、印環細胞癌の生物学的悪性度(癌性腹膜炎に至る等)は、右悪性度がより高いとされる低分化腺癌のうちでも、特に高いと教えられており、また、表層拡大型の胃癌についても、その危険性を教えられていたのであるから、花子に対し、再発防止の必要性を認め、補助化学療法を勧めたとしても非難されるべきでない。

また、抗癌剤の投与方法としては、持続点滴による方法であれば血中濃度を低く押さえることができ、副作用が軽微ですむので、右方法を採用することを前提に再発防止のために補助化学療法をすることは許される。

花子に対する抗癌剤UFT、マイトマイシンCの投与は、白血球数の減少等の症状が起こる以前からなされていたものであり、右症状が右各抗癌剤の副作用によるものとは考えがたい。

9  同(3)の事実は否認する。花子は、原発病巣の癌細胞が印環細胞癌という生物学的悪性度の最も強い癌であって、癌性腹膜炎として再発するおそれがあった。

10  同(4)の事実のうち、小林医師が骨髄機能抑制の副作用がある抗癌剤UFT、マイトマイシンC、5FUを投与したことは認め、小林医師に過失があることは争い、その余は否認する。

11  同(二)(1)の事実のうち、骨髄機能抑制がある薬を投与する際には、頻回に臨床検査を行うなど、患者の状態を十分に観察し、慎重に行うべきであること、花子の白血球数は減少していたこと、抗癌剤を投与したことは認める。その余は否認する。

白血球数は、抗癌剤の副作用以外の原因によっても減少するうえ、抗癌剤の副作用によるものか否かは、(骨髄穿刺により)骨髄内の造血状態を知ることが必要であり、また、抗癌剤の副作用の有無・程度は個体差が大きい。したがって、白血球数のみを根拠に、抗癌剤投与の適否を評価すべきではない。

12  同(2)の事実のうち、七月一日の花子の白血球数が二九〇〇/立方ミリメートルであることは認める。副作用のピーク時は不知。その余は否認する。

13  同(3)の事実のうち、花子が六月二一日から下痢をしていたことは認める。その余は不知。

小林医師は、投与前に、花子から下痢は止まっている旨聴取したうえで、5FUを投与したものであるうえ、5FUによる消化管障害の程度は薬剤感受性により差が大きく、投与した結果判明するものである。

14  同(4)は争う。小林医師が行った抗癌剤投与は、当時厚生省の抗癌剤投与に関する班の研究に従った方法と量で、同じころ、数人の進行した癌患者で再発している例に行っていた方法であるが、副作用の発現は軽微で制癌効果が見られたので非難は当たらない。

15  同4(三)の事実は否認する。

小林医師は、五月一〇日ころまでの間に、原告太郎に対し、病理学的検査の結果によればリンパ節転移が〇パーセントで、深達度が粘膜内ではあるが、右結果が絶対なものではないし、表層拡大型胃癌で、Ⅱc+Ⅲの潰瘍を伴っていることを説明し、原発病巣の癌細胞が印環細胞癌という生物学的悪性度の最も強い癌であって、リンパ節転移よりも癌性腹膜炎として再発するおそれがあり、慎重に対処する必要があること、早期癌でも二パーセントから八パーセント再発の可能性があることも説明した。その上で、術後通院しながら約六ケ月間、副作用はあるが経口抗癌剤UFTを内服して予防措置をとるかどうか決めてほしいと話をして、原告太郎からUFT投与の同意を得た。また、右抗癌剤投与前の五月一三日ころには、花子本人にも同様の説明をして、同意を得た。

また、小林医師は、原告太郎及び花子に対し、もし僅かな癌細胞でも残っていたときに経口抗癌剤より殺細胞効果がある抗癌剤マイトマイシンC四ミリグラムを点滴投与するにつき説明し、投与前に、右両名の同意を得た。

さらに、六月二五日、花子に対し、マイトマイシンCに代えて抗癌剤5FUの持続点滴による点滴静注を勧め、花子の同意を得た。

16  同4(四)の事実のうち、小林医師が花子に対して感染対策を施さなかったことは否認する。CRP検査は、感染症の検査方法として適切とはいえない。

17  同4(五)の事実のうち、大口クリニックに原告主張の設備のないことは認め、その余は否認する。

18  同4(六)の事実は否認する。医師の注意義務については、診察当時の学問的な医療水準によって判断すべきではない。つまり、学問としての医療水準は、学会に提出された学術的問題が基礎医学的に又は臨床医学的に学者、学会間で研究討議され学会のレベルで一応認容されて形成されたものであるが、医師の注意義務はこのような高度の水準で判断されるのではなく、この医学水準が医療の実践の場に普及し普遍化され実践として医療水準となったものにより判断すべきとされている。実践としての医療水準とは、医療水準となったものが多くの経験的研究の積み重ね、技術の改善、専門家レベルでの実際適用を経てほぼ定着したものである。

最高裁平成七年六月九日判決は、実践としての医療水準は、一律に適用されるべきでなく、当該医療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであるとするが、これは、先進的研究機関を有する大学病院、地域の基幹となる総合病院について述べているのであり、被告病院には当てはまらない。

小林医師は、実践としての医療水準には反していない。

すなわち、開業医のレベルで非専門家の医師は、抗癌剤は使用した方がいいと思っているため、原告の同意があれば、補助化学療法を行うのは当然である。

昭和五五年以降、早期胃癌に対して補助化学療法を行わないとの考えが確立したが、昭和四五年から五五年ころは、抗癌剤の効果を見るため早期胃癌の患者に対しても胃癌切除手術後の補助化学治療試験が盛んに行われた。小林医師は、昭和四五年から五五年ころ、国立がんセンターに勤務していた。

したがって、小林医師に早期胃癌に対して補助化学療法を行わないとの考えを要求することは無理な要求である。小林医師も、抗癌剤の副作用は知っていたが、本件のごとき急激な事例は知らなかった。

切除手術後の患者の癌再発の有無を知ることができる立場の者ならば何が正しく何が正しくないかを判断することができ、早期胃癌には、補助化学療法を行わない方がよいと言えるが、小林医師のように実際に現場で患者に対面している者には、そのような知見への変化を確実なものとして認識できない。

早期胃癌に補助化学療法を行わないとの考えは、平成四年当時の一般開業医の医療水準ではなかった。

19  同5の事実は不知。愛知医科大学付属病院での花子の経過を見ると、花子は、抗癌剤により極めて希に現れる重篤な副作用の症状と診断され、その治療を努められたが、効なく死亡したものと推測できる。しかし、解剖がされていないので、小林医師が疑った癌性腹膜炎が原因である可能性も否定されたわけではない。

20  同6は不知ないし争う。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これらの記載を引用する。

理由

一1  請求原因1、2及び3(一)、(三)の事実、同(五)の事実のうち花子が死亡したことは当事者間に争いがない。

2  請求原因3(二)の事実については、原告太郎本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第三三号証により、花子が抗癌剤UFT(定義は後述する。)を内服していたことが認められ、その余の事実については、当事者間に争いがない。

3  請求原因3(四)の事実については、原告太郎本人尋問の結果により花子の身体中に激痛が生じたことが、小林医師本人尋問の結果により原告太郎の希望もあって、小林医師の判断で愛知医科大学付属病院への転医がなされたことが認められ、その余の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、原告らの主張する小林医師の過失について判断する。

1  まず、胃癌に関する医学的知見を検討する。

成立に争いのない甲第八号証「最新内科学大系第四三巻胃癌<消化管疾患4>」(一九九二年一〇月三一日第一刷発行)、甲第二一号証「現代の病理学各論」(昭和六〇年六月二〇日第三刷発行)及び甲第二五号証「胃と腸の臨床病理ノート」(一九七九年四月一日発行第一版第三刷)によれば、胃癌の中で、早期胃癌とは、リンパ節の転移に関係なく、癌の浸潤が粘膜内(m)ないし粘膜下層(sm)にとどまるものをいうことが認められる(これは、直接的には、甲第七、第三〇及び第三五号証の胃癌研究会編「胃癌取扱い規約」で定義されているものと認められるが、同規約の該当部分は書証として提出されていない。)。

成立に争いのない甲第一〇号証「癌診療Q&A胃癌」(一九九四年四月一〇日初版発行)及び甲第三五号証「胃癌取扱い規約」(一九九三年九月二五日第二刷発行)によれば、胃癌の肉眼的進行程度は、程度の低いⅠ(腹膜転移、肝転移、リンパ節転移、漿膜面浸潤なしの状態)から程度の高いⅣ(胃癌腫に近接する腹膜に播種を認めるが遠隔腹膜には転移を認めない、肝臓一葉のみに転移を認める、第三群ないし第四群リンパ節転移を認める、癌組織の浸潤が他臓器まで及ぶ状態)までの各ステージに分類される。

成立に争いのない甲第二四号証「胃疾患の臨床病理」(一九七九年九月一日発行第一版第五刷)によれば、早期胃癌の肉眼分類としては、基本型は胃内腔への隆起の著しい隆起型(Ⅰ)、表面の凸凹の比較的目立たない表面型(Ⅱ)、粘膜陥凹の目立って著しい陥凹型(Ⅲ)の三型である。表面型はさらにその亜型として、わずかに粘膜面から隆起している癌で、その高さは周辺粘膜の二、三倍程度の表面隆起型(Ⅱa)、正常粘膜との凸凹の差がほとんどない平坦な広がりを示す表面平坦型(Ⅱb)、粘膜筋板の深さを越えない程度の浅い粘膜の陥凹である表面陥凹型(Ⅱc)の三種類に分けられ、これらの分類に際しては、病巣が大きく、部分的に肉眼所見の異なった例では、最も目立つ所見について判定を下し、それが困難な場合には二種以上の所見を併記することになっていることが認められる。

したがって、本件で問題となっている花子の胃癌であるⅡc+Ⅲ型とは、粘膜筋板の深さを越えない程度の浅い粘膜の陥凹である表面陥凹型(Ⅱc)と粘膜陥凹の目立って著しい陥凹型(Ⅲ)が併記されたものであり、成立に争いのない甲第一九号証「新臨床内科学」(一九八九年一二月一日第五版第三刷)によれば、浅い陥凹(Ⅱc)の中に深い陥凹(良性潰瘍)があるものであることが認められる。

2  次に、花子に投与された抗癌剤についてみるに、成立に争いのない甲第二八号証「医療薬日本医薬品集」(一九九三年版平成五年七月五日発行)によれば、本件で花子に投与されたUFT(医薬品の製品名)は、テガフール・ウラシルという抗悪性腫瘍剤であること、マイトマイシンCとは、抗腫瘍性抗生物質であること、5FU(医薬品の製品名)は、フルオロウラシルという抗悪性腫瘍代謝拮抗剤であり、いずれも骨髄機能抑制等の重篤な副作用が起こることがあり、副作用として血液の白血球の減少、下痢、腹痛等の症状が現れることが認められる。

3  以上をふまえて早期胃癌の治療方法について検討する。

前掲甲第一〇号証「癌診療Q&A胃癌」によれば、胃癌に対する根治的な治療選択は、第一に手術治療であること、ステージⅠの段階にある早期胃癌(腹膜転移、肝転移、リンパ節転移、漿膜面浸潤なし)の場合、手術単独でも五年生存率が九五パーセント以上の成績が得られていること、胃癌に対する化学療法には、①進行胃癌手術の根治性を向上させることを目的として術前補助化学療法、②進行胃癌治癒切除後の予後向上と再発防止を目的とした術後補助化学療法、③非治癒切除後の遺残癌病巣に対する化学療法、④手術不能胃癌と術後再発胃癌に対する化学療法等があること、ステージⅠ症例に対しては、治癒切除術のみで、化学療法は用いないものであることが認められる。

成立に争いのない甲第一三号証「医学のあゆみ」(第一六四巻第五号一九九三年一月三〇日発行)、甲第一五号証「がん化学療法の副作用対策」(一九九二年七月三一日第一版第一刷発行)、甲一六号証「緩和ケア百科AtoZ」(初版第一刷発行一九九四年四月一〇日)、前掲甲第二八号証「医療薬日本医薬品集」及び甲第二九号証(甲第一五号証と同じ文献で異なる頁部分)並びに証人笹子充(以下「笹子」という。)の証言によれば、抗癌剤投与による補助化学療法の有効性は胃癌に関しては実証されていないこと、有害作用のない抗癌剤はないこと、白血球減少その他の毒性のリスクを伴うことから、抗癌剤の副作用はきわめて大きい反面、胃癌に対する抗癌剤の効果には疑問があることが認められる。

前掲各証拠による限り、早期胃癌に対しては化学療法は無意味であるばかりか、副作用の弊害をもたらすものであり、有害ですらあることは、本件事故当時においては、学問的な先進的な知見でもなければ、特殊医療分野における知見でもなく、ごく一般的な知見であると認められる。

以上を前提に、小林医師が花子に対して行った治療行為について検討する。

三  成立に争いのない乙第一号証によれば、以下の事実が認められる。

1  四月一日の内視鏡検査では、花子は胃の体部大脊側にⅢ+Ⅱc様の潰瘍が認められ、同月六日報告の病理検査結果では、花子は胃生検によれば癌であり、印環細胞癌(成立に争いのない甲第二〇号証「最新内科学大系第四三巻胃癌<消化管疾患4>」(甲第八号証と同じ文献で異なる頁部分)によれば、粘液細胞性腺癌(粘液細胞癌)ともいわれ、印鑑のついている指環に似た構造を呈し、早期胃癌に多く見られ、印環細胞癌の状態を維持した進行胃癌はまれであることが認められる。)の形を示すとされたが、同月二四日報告の病理検査結果では、リンパ節転移はないとされている。

さらに、四月三〇日報告の病理検査結果報告では、花子は早期胃癌Ⅱc+Ⅲ型であるとされ、印環細胞癌が増生しており、U1.Ⅲ〜Ⅳ(証人黒田博文(以下「黒田」という。)の証言によると、U1.は潰瘍を意味し、Ⅲ〜Ⅳは胃潰瘍の深さを表すことが認められる。)の潰瘍があり、その周辺に癌細胞があり、一応粘膜内にとどまっているが、範囲が広いとされている。

そして五月八日報告の病理検査結果第二報では、結果は前回と同一であるが、組織所見としては、進行癌の所見ではないものの、その範囲は広く、その点では、時間的な早期癌という意味ではなく、深達度のみを考慮した「取扱い規約」上の早期癌であり、すでに転移が起こっていることもあり得るケースであるとされている(これは転移の具体的な可能性を指摘したものではない。)。

五月一一日報告の病理検査結果第三報でも、結果は四月三〇日の病理診断結果と同一であるとされている。

以上のとおりであり、花子の胃癌は、これら手術後行われた数回にわたる病理検査結果によれば、粘膜内に留まるⅡc+Ⅲ型の早期癌(m癌)であり、リンパ節、腹膜、肝臓などにも全く転移所見はなく、進行度はステージⅠの早期癌であったものである。

なお、成立に争いのない乙第二号証の一、証人黒田の証言及び小林医師本人尋問の結果によれば、小林医師及び黒田医師の本件手術中の肉眼診断では、漿膜面浸潤は癌組織が漿膜面に明らかに出ており、リンパ節転移は第二群リンパ節に転移を認めるもので、ステージⅢで進行癌と判断したことが認められるが、それは、潰瘍性の瘢痕等との誤認と認められるものであり、肉眼診断よりも数回にわたってなされた病理学的検査結果等を優先して診断すべきであって、花子は進行癌ではなかったものと認めるべきである。

以上のとおりであり、花子の胃癌は、早期胃癌であり、切除手術のみであっても再発の可能性は極めて低い一方、抗癌剤の効果も明らかでなく、あえて危険性のある補助化学療法を行うべき状況にはなかったものである。

2  これに対し、被告は、早期胃癌でも、胃切除術後二パーセントから八パーセントの再発の可能性があり、再発した場合には予後が悪いこと、特に、本件のごとき表層拡大型早期胃癌及び印環細胞癌は、他種の胃癌に比べて予後がよくない(癌性腹膜炎等に至る)ので、再発を防ぐために化学療法を行うことが必要である旨主張する。

しかし、前掲甲第二〇号証「最新内科学大系第四三巻胃癌<消化管疾患4>」には、「(胃癌の)予後を左右する重要な因子は癌の胃壁内浸潤程度の深さであり、組織型や核異型度などはあまり重要でない」と記載されており、早期胃癌病巣の大きさ別頻度について「国立がんセンターで一九九一年五月までに手術された二三〇〇例、二五六二病巣の大きさ別頻度は、2.1〜5.0センチメートル大が50.7%と最も多い」旨記載されている。

前掲甲第二一号証「現代の病理学各論」には、胃癌の進展について「胃癌は粘膜に発生しやがて粘膜を越えて深部に到達する。この場合は胃壁に対して垂直方向の進展を指している。しかし胃癌の進展は水平方向にも起こる。二つの進展方向の程度の違いは癌のそれぞれによって違っている。(中略)一般に予後に関係が深いのは胃癌がどの程度深く浸潤しているかである。」と記載されており、胃癌の転移について「胃癌の転移は予後を決定する重要な因子であるが、臨床的に最も重要な要素は所属リンパ節の転移の有無である。一般に胃癌の進達度が進めば、それに比してリンパ節への転移率も上昇する。」と記載されている。

さらに、小林医師本人尋問の結果によれば、花子の癌病巣の大きさは四、五センチメートル大であり、表層拡大型胃癌(成立に争いのない甲第二三号証「胃癌の診療」(昭和五九年一二月二〇日第三刷発行)には、表層拡大型胃癌の定義として「五〇ミリメートル×五〇ミリメートル=二五〇(ママ)以上の広がりを有するもの」と記載されている。)であったことが認められる。

以上の事実からすると、予後を決定づけるのは癌の深達度及び転移の有無であって、癌の広さ、組織型や核異型度ではないため、花子の癌が印環細胞癌(組織型分類による)であったことをもって再発の可能性が大きいとの考えは採り得ず、むしろ、早期胃癌の時期の印環細胞癌は、他の胃癌より予後が良いこと(前掲甲第二〇号証「最新内科学大系第四三巻胃癌<消化管疾患4>」に記載されている国立ガンセンターの一九六二年五月から一九九〇年一二月の組織型別・深達度別リンパ節転移率の調査によれば、印環細胞癌は、リンパ節転移率が44.1パーセントにとどまり、同じく国立ガンセンターの一九六二年から一九九〇年の胃癌の胃切除手術全症例の組織型別予後によれば、印環細胞癌は、低分化腺癌、膠様(粘液)腺癌、乳頭腺癌といった他の癌より予後が良く、全症例と比べても予後がよいとの統計が出ている。)、花子は表層拡大型胃癌であったが、その癌病巣の大きさは四、五センチメートル大とのことであり、これは早期胃癌としては決して少ない症例ではなく、むしろ、平均的大きさであり、転移の危険性は通常の早期胃癌として考えることができることが認められる。

したがって、被告主張の事実をもって、花子の癌は予後がよくなく、再発防止等のために抗癌剤による補助化学療法の必要性があったとは到底認められない。

3  また、被告は、花子が癌性腹膜炎あるいは化膿性腹膜炎であったので、化学療法が必要であった旨を主張する。

しかし、弁論の全趣旨によれば、癌性腹膜炎とは、癌細胞が漿膜を破り、腹腔内に散布され、臓器側及び壁側腹膜に生着し結節を作ることによって腹膜播種(腹膜播種性転移)に至り、やがて悪心、嘔吐、腹部の激痛その他の様々な症状が発現した状態をいうところ、小林医師は、右癌性腹膜炎を疑ったとしているが、前掲乙第一号証によると、本件手術後、CTスキャン、腹水の穿刺、注腸造影並びに腫瘍マーカーの測定等その確認のための検査を行っていないことが認められる。

また、成立に争いのない乙第五ないし第九号証によると、愛知医科大学付属病院の診療において、癌性腹膜炎について何ら問題とされた形跡はうかがえず、証人黒田の証言によると腹水中に癌細胞が存在しないことが確認されていることが認められる。

したがって、花子が癌性腹膜炎であったこと、あるいは、癌性腹膜炎を疑わせる所見があったとは到底認められない。

また、前掲乙第一号証、成立に争いのない乙第三号証の二及び三並びに小林医師本人尋問の結果によっても、花子が化膿性腹膜炎であったことをうかがわせる所見は認められない。

以上のとおりであり、花子の胃癌は早期胃癌であり、化学療法の適応はないものであるにもかかわらず、後述のような副作用のある抗癌剤を投与し続けたものである。

したがって、このこと自体、既に、小林医師の治療行為に根本的な過失があったということができるものである。

四1  前述のとおり、小林医師が花子に対して抗癌剤を投与したこと自体明らかな誤りであり、重大な治療ミスであるが、抗癌剤の投与に際して遵守すべき注意義務自体も著しく懈怠しているものである。

2(一)  成立に争いのない甲第一一号証の一及び二「Manual of Clinical Oncology(臨床腫瘍学マニュアル)」には、患者に口内炎、下痢、感染の兆候があったり、白血球数が三五〇〇/μl未満の場合はフルオロウラシルは控えるべきことが記載されていることが認められる。成立に争いのない甲第一二号証「癌化学療法の基礎と臨床」(一九八六年一〇月三日第四版(大改訂))には、白血球数が四〇〇〇/立方ミリメートル以下の場合は抗癌剤は禁忌とされていることが認められる。

(二)  また、前掲甲第一五号証「がん化学療法の副作用対策」は、5FUは、下痢を生じやすいこと、それは粘膜障害によるものであり、抗癌剤の中止がその防止の第一歩であること、腸粘膜の防御機構が低下するため、感染が生じやすいこと、敗血症に陥ることがあることから、発熱には十分注意すべきこと、下痢と同時に白血球の低下がみられる場合にはG―CSFなどを用い白血球の上昇に努めるべきである旨が記載されていることが認められる。

(三)  さらに、前掲甲第二八号証「医療薬日本医薬品集」には、テガフール・ウラシルの注意事項として、骨髄抑制機能等の重篤な副作用が起こることがあるので、頻回に臨床検査(血液検査、肝機能・腎機能検査等)を行うなど、患者の状態を十分に観察し、異常が認められた場合には、減量、休薬等の適切な処置を行うべきこと、感染症・出血傾向の発現又は増悪には十分注意すべきこと、白血球減少等が現われることがあるので定期的に検査を行い、異常が認められた場合には中止するなど適切な処置を行うべきこと、下痢が現われることがあるので、観察を十分に行い、異常が認められた場合には中止するなど適切な処置を行うべきことが記載されていること、フルオロウラシル及びマイトマイシンCについても同趣旨の注意がされていることが認められる。

(四)  さらに、前掲甲第二九号証「がん化学療法の副作用対策」には、5FU、UFT、マイトマイシンCは、それぞれ骨髄抑制があり、下痢の症状ももたらす旨が記載されていることが認められる。

(五)  なお、前掲甲第一三号証「医学のあゆみ」には、抗癌剤の投与から白血球の数が最低となる期間は、5FUの場合七日ないし一四日、マイトマイシンCの場合は二一日から二八日である旨が記載されていることが認められる。

以上の事実からすると、小林医師が花子に抗癌剤を投与するに当たっては(投与すること自体が誤りであるが)、抗癌剤のもたらす重篤な副作用に思いを致し、抗癌剤それぞれの特性を十分に理解した上、頻回に臨床検査を行うなどして、白血球数や下痢の有無等について観察し、異常が認められた場合には、投与を中止し、さらには感染防止対策等必要な措置をとるべき義務があることは当然である。

3(一)  しかし、前掲乙第一号証、乙第六号証、原告太郎本人尋問の結果及び前記当事者間に争いのない事実によると、花子は、手術して大口クリニックを退院後の五月二〇日、同クリニックを外来受診したが、その際、小林医師からUFTを一日六カプセルで一週間分処方され(花子は処方された抗癌剤はすべて指示どおり服用していた。)、その際の血液検査では、白血球数は三八〇〇/立方ミリメートルであったこと、花子は、同月二七日、六月四日、同月一一日、同月一八日及び同月二五日にも同薬を同量処方されて(ただし、五月二七日には八日分処方されている。)服用していることが認められる。

(二)  また、前掲乙第一、第六号証及び前記当事者間に争いのない事実によると、花子がマイトマイシンCを最初に点滴投与されたのは、六月四日であるが、その際の白血球数は三九〇〇/立方ミリメートルであったこと、同月一一日、一八日及び二五日にも同薬を投与されているが、同月一八日の投与の際の白血球数は三四〇〇/立方ミリメートルまで低下していたこと(なお、白血球数の正常値についての見解は多少の変遷があるが、大口クリニックのカルテ添付の検査表では三三〇〇から九〇〇〇/立方ミリメートルが正常値とされていることが認められる。)、花子は、同月二一日にはひどい下痢が四回あったことが認められる。

(三)  さらに、前掲乙第一号証、第三号証の二及び三並びに原告太郎本人尋問の結果によると、六月二九日、花子は大口クリニックに再入院したが、花子はそれは定期検査のためと思っていたこと、同日、小林医師は、5FU一二五〇ミリグラムを点滴投与したこと(なお、証人笹子の証言によると、一般に補助化学療法における同薬の投与量は一日三〇〇ないし五〇〇ミリグラムとされている。)、その投与に先立ち、白血球数の検査は行われていないこと、翌三〇日にも同薬が同量点滴投与されているが、このときも、白血球数の検査はされていないこと、花子には、同日、下痢の症状があったことが認められる。

(四)  前掲乙第一号証によると、花子は、七月一日には血液検査がされたが、その際の白血球数は二九〇〇/立方ミリメートルに減少していたことが認められる。

(五)  花子は、七月二日大口クリニックをいったん退院したが、翌三日身体中の痛みを訴えて同クリニックに再々入院したことは当事者間に争いがなく、前掲乙第一号証及び乙第三号証の三によると、その際の白血球数は二四〇〇/立方ミリメートルまで減少しており、下痢と発熱が続いていたこと、その後白血球数は、同月四日二二〇〇/立方ミリメートル、同月六日は一〇〇〇/立方ミリメートル、同月七日は六〇〇/立方ミリメートルと激減していき、発熱と下痢が継続したことが認められる。

(六)  小林医師本人尋問によると、七月七日、花子は愛知医科大学附属病院に転送されたが、それまでの間、大口クリニックにおいては、絶食、静脈栄養補給、抗生剤投与等の措置は講じたことが認められ、乙第一号証によると、CRP検査や真菌血症・敗血症の確認は行っていないことが認められ、前掲乙第一号証によると、その有効な抗生物質選択の前提として有意な検査である血液の細菌培養検査は行っていないことが認められる。

(七)  成立に争いのない乙第一六号証によると、花子は、愛知医科大学付属病院に転送された七月七日、白血球数は五〇〇/立方ミリメートルで、骨髄抑制による顆粒球減少症と敗血症、DIC(播種性血管内凝固症侯群)の状態で意識レベルの低下が認められる。

(八)  前掲乙第五、第六及び第一六号証によると、七月八日には胸部レントゲンで肺炎の所見が認められ、白血球数は三〇〇/立方ミリメートルとさらに減少し、舌根沈下による一次的な呼吸停止があったこと、翌九日にも呼吸停止があり、ICUへ移送されたが、同月一八日、呼吸不全で死亡したことが認められる。

4 以上のとおりであり、小林医師は、そもそも早期癌には不必要かつ有害である抗癌剤を投与した上、その投与自体、およそ、抗癌剤には必然的に副作用が伴うことを念頭において花子の身体の状況を慎重に観察しながら投与するという医師として当然の注意義務を尽くすことなく、ただ、漫然と抗癌剤の併用投与をしていったものであり、そこには、抗癌剤の副作用に対する考慮の姿勢がみじんも存在しない。

右花子の抗癌剤投与後の下痢や白血球減少という症状が典型的な副作用であることは容易に看取することができるものであり、小林医師は、直ちに抗癌剤投与を中止したうえ、花子の状態を慎重に検査の上、感染症の有無を調査し、必要な感染対策をとるべき義務があった。

しかし、小林医師は、最初に抗癌剤UFT投与後白血球減少傾向にあり、成書では禁忌とされている状態になっているにもかかわらず、また、常識では考えられないほどの多量の5FUを大量投与したものであり、その行為は医師としての注意義務を明らかに欠いた行為である。

五  以上に対し、被告は、医師の注意義務は、学会レベルで一応認容されて形成された医学水準が医療の実践の場に普及し普遍化され実践として医療水準となったものにより判断すべきであること、小林医師は抗癌剤の副作用に本件のごとき急激な事例があることを知らず、再発率の低い癌患者に対して補助化学療法を行わないことは知らなかったが、そのことは平成四年当時の一般開業医の医療水準ではなく、小林医師に注意義務違反はない旨主張する。

しかしながら、成立に争いのない甲第三六号証によると大口クリニックは、診療科目として、外科、内科、整形外科、脳神経外科、小児科、皮膚科、耳鼻咽喉科、産婦人科、泌尿器科、胃腸科、理学診療科、歯科(救急)を標榜し、小林医師は外科を標榜して国立がんセンターのレジデントの経験があることが認められ、小林医師本人尋問によると従前より抗癌剤治療を実施していたものであることが認められる。

そして、花子に対しても、胃癌の切除手術(これは黒田医師が執刀した。)に続いて自ら化学療法による治療を施そうとしたものであるから、小林医師としては、補助的な化学療法の適応性、抗癌剤の副作用等当時において一般的な医学的知見となっていることがらについては、当然これを研究しておくべきであり、このことは、胃癌の治療をする以上は、専門的医師であると否とで異なることはない。

しかも、花子に対する治療において問題となる知見は、m癌の再発率が極めて低いこと、抗癌剤は胃癌に対しては腫瘍縮小効果はあっても治療効果は認められないこと、印環細胞癌・表層拡大型胃癌・潰瘍型胃癌であることは再発のリスクとは関係がないこと、抗癌剤には重篤な副作用があること、抗癌剤により白血球数が減少すること、抗癌剤は下痢の症状が出ている患者に対して投与すべきでないこと等であるが、いずれの知見も前掲の一般的な医学文献等に掲載されている事項であり、その知見の取得に格別の困難性は存在しない。

小林医師は、国立ガンセンターに勤務していた昭和四八年六月から同五一年ころの知見に依拠して弁解に終始しているが、癌治療の方法等は日進月歩であり、ある知見も、その後の研究や医学的実践において妥当でないものとして否定されることのあることも当然であり、小林医師は、胃癌の治療に当たる以上は、可能な限り、最新の知見の修得に努めるべきものである。

したがって、被告のこの点の主張は理由がない。

六  以上のとおりであり、小林医師は、化学療法の適応のない花子の早期胃癌に対して化学療法を試み、しかも、抗癌剤の副作用に思いを致すことなく、禁忌となった状態でも抗癌剤を大量に投与し続け、その結果、花子をDICに罹患させ、死亡させた点に過失があることは明らかである。

原告らは、小林医師の説明義務違反等その他の責任事由も主張しているが、それらについて触れるまでもなく、小林医師に治療行為上の重大な過失があったことは明らかであり、その使用者である被告は、原告らに対して、損害賠償義務を負うことは明らかであるというべきである。

七  そこで、請求原因6の原告らの損害額について検討する。

1  花子の逸失利益

当事者に争いのない事実、前掲甲第三三号証、原告太郎本人尋問の結果、弁論の全趣旨及びこれらによると真正に成立したと認められる甲第六号証によれば、以下の事実が認められる。

(一)  花子は、原告太郎の経営する○○商店において麺製造、販売、経理の業務に従事し、年間金五二二万円の収入を得ていた。

花子は、死亡当時満五三歳であり、本件で死亡しなければその後六七歳まで一四年間にわたり稼働することができ、その間の同人の生活費は花子の年間収入を考えると、年収の三割と考えるのを相当とする。

そこで右金額を基礎として新ホフマン方式により、年五分の割合による中間利息を控除して花子の死亡時における逸失利益を計算すると(年収金522万円×(1−0.3)×新ホフマン係数10.409)、金三八〇三万四四八六円となる。

(二)  原告太郎は、右金額の二分の一に当たる金一九〇一万七二四三円を、原告一郎、同春子、同夏子及び同二郎は、それぞれ右金額の八分の一に当たる金四七五万四三一〇円(小数点以下切り捨て)を相続した。

2(一)  原告太郎の慰謝料

当事者間に争いのない事実、前記認定事実及び原告太郎本人尋問の結果によると、花子は、一度は胃癌であると宣告されたものの、花子の胃癌は早期胃癌であり、切除手術によりほぼ一〇〇パーセント治癒する状況であり、医師からは手術すれば治るといわれ、実際手術そのものは成功したにもかかわらず、本件抗癌剤の不当投与という全くの医師のミスにより、最愛の妻である花子を無用な苦痛を与えた上で失うに至ったこと、抗癌剤投与により花子の症状が悪化していく中、原告太郎が小林医師に心配で大丈夫か尋ねたところ、絶対大丈夫等と言葉をかけられたにもかかわらず、結局花子は死亡するに至ったこと、死亡直前の花子が腹痛で病室の中を転げ回っているかのような様子を目の当たりにしていること、今まで商売の製麺業を花子とともに行ってきたこと等が認められ、右諸般の事情を併せ考慮すると、夫である原告太郎が花子の死亡によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、金一二〇〇万円が相当であると認められる。

(二)  原告一郎、同春子、同夏子及び同二郎の慰謝料

また、原告一郎、同春子、同夏子及び同二郎についても、一度は助かると思っていた母が医師のミスにより苦しめられたうえ、死に至らしめられたこと等の事情を考慮すると、子である原告一郎、同春子、同夏子及び同二郎が花子の死亡によって受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、各金三〇〇万円が相当であると認められる。

3  葬儀費用

原告太郎本人尋問の結果によれば、原告太郎は、花子の葬儀を執り行い、金一三〇万円を下らない費用を要したことが認められる。右事実と本件について現われた諸事情によれば、本件と相当因果関係ある葬儀費用は金一三〇万円をもって相当と認められる。

4  弁護士費用

原告らが、本訴の提起及び追行を上田和孝弁護士及び羽賀康子弁護士に委任したことは当裁判所に顕著な事実であるところ、本件事件の性質、事件の経過等を考慮すると、被告に賠償を求めうる弁護士費用は、原告太郎の関係で各金二〇〇万円、原告一郎、同春子、同夏子及び同二郎の関係で各金五〇万円と認めるのが相当である。

八  以上の事実によれば、原告らの本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤修市 裁判官戸田彰子 裁判官久保孝二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例